山口県立山口中央高等学校の学校生活

思い出の授業

当時は時代の遺物のような高校だったので、斬新な授業なんてなかった。

 

在校中の思い出・エピソード

私の高校は、当時は女子高だった。市内でも「お嬢様学校」的なポジションにある学校だったと思う。知らずに入学した私は、当初ずいぶん違和感を覚えたものだった。高校に入学してからしばらくして、同じく違和感を覚えていただろう友人に「バンドやらない?」と誘われた。譜面を読めるどころか、楽器の経験など全くなかった私だが、その場のノリで「おっけ~。じゃ私ギターね!」と軽く引き受けてしまった。 しかし、練習のためいざスタジオに連れて行かれると、 スタジオという場所の独特な雰囲気が一発で気に入ってしまい、それからの私は、バンドの中で一番熱心に活動するようになった。 それから1年。私は高2になった。私の高校でも、文化祭というものは一応あった。文化祭では、学校で唯一ステージでバンド演奏が許される場所(どこも一緒か)。当然、ステージを目指して私たちの練習にも熱が入った。しかし、当時文化祭を仕切っていた先生というのが全先生の中でもダントツで厳しく、頭の固いF先生だった。言うに事欠いて、「今年はバンド演奏は中止」と言い出し始めたのだ。私達を含めた、バンド演奏ステージを目指していた面々は大混乱。 何度も先生と掛け合い、さらには他の先生を味方につけたりして、何とか「各バンド2曲まで・来年はステージには立たない」という条件付き(念書まで書いた)で演奏の許可が下りたのだった。 「演奏2曲」。時間にすれば、たった5、6分。 しかも今年限り。それでも私たちには、ステージに立てるだけで十分だった。当日、体育館のステージに立ち、大観衆(・・・ウソ。実は全校生徒約900人のうち半分くらい)の目の前で、ド素人の照明を浴び、たった2曲の持ち歌(レベッカのコピー曲だった)を演奏した私たちは、ステージ終了後、感激のあまりみんなで抱き合って泣いた。 それから1年。あの頭の固い先生は転勤し、文化祭のステージには、下級生がギターやベースを持って立ち、レベッカのコピー曲を延々と演奏していた。 私たちは、「今年限り」という念書を後任の先生にちらつかされ、ステージ下でそれを見上げるしかできなかった。今思い返しても涙が出そうになる、ほろ苦い思い出である。 そんな私たちの高校も、現在は移転し、それを機に共学校となった。時代も変わったし、今では毎年文化祭ではバンドのステージが催されていることだろう・・・。

 

高校の特徴・名物など

今思い返せば、異常な環境とも言える「女子高」。 10代の貴重な3年間を女子だけで過ごすなんて・・・。 名物と言えば、森英恵がデザインした制服くらいか。 それだけは、共学校になった今も変わっていないらしい。 だけど、未だにセーラー服の制服校ってのも珍しいと思う。周りは時代の流れに乗ってブレザーになっているのに・・・。

 

高校にひとこと!

共学になって、少しは開放的になりましたか?

 

高校生活の満足度(5段階評価)☆☆

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